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実行委員長 田辺藩筆頭老中
田辺藩の大石内蔵助こと松本昭司 
まいづる 細川幽斎
田 辺 城 ま つ り

実行委員会 〒624-0854 舞鶴市円満寺158-1 TEL/FAX 0773-75-0933
更新日:平成22年7月30日

■第19回(平成22年5月23日・前夜祭含む)まつりの写真記録はこちらから!
■田辺八景の説明は、このページの途中にあります。
平成22年第19回田辺城まつりは雨天の為、ご城下大行列は行われませんでした。
晴天の場合、行列は、田辺八景巡りの下記のコースを予定していました。 

平成23年第20回では実現したいと思っています。
                 
                           副実行委員長 山本公彦
副実行委員長 田辺藩老中
田辺藩の山本勘助こと
山本公彦
このときは野田笛甫の役
ページのご案内
■第18回(平成21年)のまつり(雨天中止)
■第17回(平成20年)のまつり
■第16回(平成19年)のまつり
■舞鶴百撰
■城下町舞鶴の歴史
■寄進米みこし市中巡航(平成20年)
■寄進米みこし市中巡航(平成19年)
■心種園小芝居 古今伝授(第16回)
■芸屋台&見送り幕展示(第16回)
■田辺城籠城の一席市民リレー講談(第15回前夜祭)
 
■主催 まいづる細川幽斎 田辺城まつり実行委員会
■後援 舞鶴市・舞鶴教育委員会・舞鶴商工会議所
      舞鶴文化協会・舞鶴商工振興会
      舞鶴西自治連合会・舞鶴観光協会

■協賛企業及び団体(順不同敬省略)
土井正生  モリワキ機械工具  大本外科医院
冨永法律事務所  小西商事  志摩機械  山下歯科医院
上西本間税理士法人  京都銀行西舞鶴支店
山下管工開発  ミズノ  甲斐嶋畳店  坂根工務店
舞鶴文具  ましも  キクヅル  三和工業用品  藤善
コスモ観光  辻石材店  舞鶴西料飲組合  舞鶴浄美社
舞鶴市民新聞社  クスダ商会  吉田建具店  田中産業
賀茂鶴酒造  しまとう  舞鶴プロパン  大阪屋婦人服
ニューライフショップミズタニ  セイブリビング  イマヤス
深田新聞舗  北都警備保障  鶴美建設  弥栄電設工業
足立クリーニング  加寿美  大滝工務店  太陽堂  
アクア  アズクリエイト  土井油糧  八百幸  はりまや  
かつら  舞鶴かまぼこ共同組合  ドライブインダルマ
バンガード  西谷通信工業  京都府漁連  エヌエスケイ
関西電力  舞鶴みなとライオンズクラブ  塩見和諧堂  
大槻昭和堂  ライフサービス舞鶴  みずたに不動産  
西本仏壇店  南石油  ジャパレン北近畿  コザイ印刷
あっさり漬食品  舞鶴浄美社  舞鶴ロータリークラブ
滝口工務店  河村電気管理事務所  ハクレイ酒造
佐古田電機  芝原塗装店  舞鶴ライオンズクラブ
京都北都信用金庫舞鶴中央支店  京栄電材
ヤマゾエクリーニング  鈴木電気工業所  堀電機商会
ケンコーマヨネーズ  中田製材所  さん太食品
田中工務店  飯野港運  佐々木薬局  京都ハト商事
舞鶴さかなセンター  ヤノストアー  瑞光寺  霞月
凡愚  舞鶴赤十字病院  八谷保険事務所  双鶴庵
舞鶴西米穀共同組合  ベニヤ食堂  キリンビバレッジ
長崎工業  キホクツアーズ  友愛サービス  タイヨー電化
東洋メンテナンス  ・らぽーるテナント会  日本海工業
丹和米油  日鶴食品工業所  韓国民団舞鶴支部
松本米穀  畜連  みやもと金物店  井出光一  日本海
松本印刷  ウスイデンカ  日之出化学工業
フクヤ  太陽保安警備、村田舞鶴堂  堀端 扇屋
荒川種苗  ニシオカ彩美社
■協力(順不同敬省略)
海上自衛隊  海上自衛隊教育隊  海上保安学校  
京都府警平安騎馬隊  舞鶴警察署 舞鶴市消防本部
ポリテクカレッジ京都 城下町倶楽部 ほくと鵬信会
舞鶴青年会議所 舞鶴市明吹奏楽団 舞鶴市教育委員会
紫友会  竹風会  淡交会  舞鶴西自治連合会
舞鶴市立城北中学校  舞鶴市立明倫小学校  
池内幼稚園  相愛保育園  舞鶴幼稚園  みつる幼稚園
聖母幼稚園  関西電力  舞鶴よさこい連  
よさこいにっぽん聖  舞鶴西料飲組合  舞鶴商工振興会
舞鶴観光協会  舞鶴商工会議所  舞鶴文化協会  
韓国民団舞鶴支部  宮津宮本神楽保存会  モナミゼミ
野村寺わいわい会  日本赤十字京都府支部
福知山献血センター  神心流舞鶴総支部・舞鶴行者講
舞鶴ディナモ  舞鶴つばさ連  まちづくりサポートクラブ
青井の有志  舞鶴市西消防団  舞鶴商工会議所青年部
舞鶴雅朋会  勤労者福祉会館 田辺城ガイドの会  
富永結・心  舞鶴市民新聞  中筋体操教室

         
■ご城下大行列コース
  
   (平成22年第19回田辺城まつりは雨天の為
    この行列は行われませんでした。
      第20回では実現したいと思っています。)

  
青井からの渡海寄進米
    青井の有志のご協力で
     今回初めて海を渡って
           寄進米が運ばれてきます。
   
     ・8:40頃   青井で幽斎年取島の段披露 
     ・9:20頃   青井から寄進米船出発
     ・9:40頃   吉原水無月神社へ寄進米到着
     ・10:00頃  寄進米みこし
               吉原水無月神社から
                   各町内へ向け出発
     ・10:30頃  吉原水無月神社で
             古今伝授の一節披露
  
北廻りコース
     ・11:00    吉原水無月神社から
              吉原太鼓を先頭に
              米沢遠征隊鎧武者20名出発
     
       大和橋付近で 竹屋太鼓、丹波太鼓合流

  
南廻りコース
     ・11:00   舞鶴公園 鎧武者39名 出発

        明倫小学校でチビッコ武者合流
              池内幼稚園
              聖母幼稚園
              みつる幼稚園
              舞鶴幼稚園
              相愛保育園  以上196名

        西市民プラザで
              本町太鼓
              南田辺子供みこし 合流

        朝代神社で
              京口太鼓・子供みこし 合流

        本行寺で
              引土新太鼓 合流

        新町で
              新町太鼓・子供みこし
              西町太鼓        合流

       寺内広っぱで
              寺内太鼓・子供みこし 合流

   
平野屋下横丁で北と南の大合流
   
    
・12:30  総登城(舞鶴公園に集結)
    田 辺 八 景   絵:みもりあきら  文:山本公彦
                         九 景 ヶ 浦

           題材は舞鶴に古くから伝わっております「田辺八景詩」をいただきました。
          ”丹後田辺に過ぎたるものは 鴇の太鼓の野田笛甫”と
          箱根峠の馬子唄にも知られています
          舞鶴自慢の「田辺八景と九景ヶ浦」でございます。
          丹哥府志 糸井文庫 舞鶴市史の文献よりそれぞれ参考にさせていただきました。
                                                      ー 山 本 公 彦
 ー
城園ノ春色
 
 大内の庄 今で言う田辺であります。和名抄には田辺の庄とございます。
古名を八田といい 宮津へ六里 京へ二一里 江戸へ一四五里の位置にございました。

「古も今も変わらぬ世の中に 心の種を残す言の葉」
 
 古今伝授の幽斎さま 細川藤孝は、天正五年の冬十一月 将軍信長の命を受けて丹後へ入りました。一色義道と戦って建部山を落とします。
一色一族は、遁れて岩滝弓木城にくだり これにより細川幽斎に従う丹後の兵 数多くあり
以来 八田村の地を開いて 初めて平地に城郭を築き この地を田辺と名付けました。
 
 因みに八田の人々は 由良川のたもと志高八田の地に移られました。
「舞鶴風流まず第一は 古今伝授の幽斎さまよ
  残す心の種芽に出でて 今じゃ桜も花盛り
    ほんにほんにさ のほほんのほい」

平田ノ旅雁
 
 加佐郡田辺郷八田村及び円満寺村の地に築かれた田辺城は、北西部に城下町が造成されました。

 北に流れる高野川に大橋が架けられ 橋西と橋東に分けられた道幅は大層狭く 丹波・平野屋・竹屋の各町や 瑞光寺・桂林寺・本行寺・朝代口など各寺社は、いずれも二間半の幅で遠目遮断の丁字路が目立ち 高野川には大橋と京橋 城の堀には伊織殿橋と高橋 伊佐津川には二つ橋のみで 街道の基点は、大橋となっていました。

 京への街道は、城の大手門から本町を経て大橋を渡り寺内へ入り 新町で宮津道と別れて紺屋・朝代から京口番所を回って 京橋で再び高野川を渡り 八丁縄手から公文名・七日市そして山崎橋で伊佐津川を渡 、真倉から何鹿を経て京へ上って参りました。

 今に見えます元稲荷市場北の大手川の石橋を「農人橋」と言いますが、大手川より南には秋の平田が十倉一宮まで 一面に広がっていたのでございます。

圓隆ノ深秋
 
 慈恵山圓隆寺とは、俗に呼ぶ本堂さんです。

 山頂には、火の神様愛宕権現が奉ってあり 町衆によく親しまれ手います。皇慶上人の開基とありますが、一説に田辺誇小太夫とも言われております。

 上人の徳を慕い 伽藍諸堂侭く備えておりましたが、大雨山崩れに会い 堂字が埋没 また火事に逢って 伽藍が一切鳥有と化したこともあります。

 今の建物は牧野の殿様の再建です。昔に比ぶれば 十分の一と言いますが 本堂の傍らには護摩堂があり 薬師堂があり 観音堂も鐘楼も揃って 山門には四天王が安置されて 山門の額は、伴壇右ェ門の筆跡でもございます。

 また三重の多寶塔があり 客殿庫裡よく軒を並べ 塔頭三院が逢連なって 仏像は皆 古へより大切に守られて来たと言われます。

 紅葉真っ盛りの本堂さんへご案内いたしましょう。

桂林ノ夜月
 
 天香山桂林寺は、竺翁和尚の開山で 元は洞林寺と言いました。
佐武ヶ獄城主 坂根修理亮の治世に寺領三十石を與えられ 寺号を桂林寺と改めました。

 細川藤考孝が田辺入城の折には、一色氏の残党を嫌って 寺領を没収されます。慶長五年秋小野木縫殿介が田辺を包囲 大渓和尚が丹後五郡に檄を飛ばして 曹洞宗一派の僧徒を掻き集め 織り金の袈裟に「降伏一切大魔最勝成就」と願を掲げ 弓矢を取りて寺門に出で立ちました。玄旨法印細川幽斎 之を大手に置いて城を固めて 恩賞として三十石の寺領を戻しました。

 傍らに鎮守八幡の社があります。寺に先立つこと凡そ五十年余り前の勧進です。

 桂林寺に似つかわしいのは、東山佐武ヶ獄に出る満月でございましょう。

市橋ノ夏涼
 
 田辺の御城 この御城下は、見付門が町の入り口にも又出口にも無く よく見れば 出口の右手に大手門があります。お城は待ちの片脇になりまして 大手は若狭街道の右手に見えます。

 「殿様はどなたか」と尋ねますと「牧野豊前守の御知行三万五千石」と答えてくれました。

 ちょっと見させて貰いますとこの殿様は甚だ貧乏と見えます。大手口も甚だむさくるしい様子です。大手御門を右に見て十丁ばかりもゆきますと その向うは 左が藪で右手は畑。

 城をぐるりと回ってゆきますと 在所の入り口となります大内に出ます。此処はまだ御城下の内でございますが 左手にえびすや政八と申す綺麗な宿屋とお休み所ががあります。その先半丁ばかりには右と左の二つ道があります。

 若狭へは外道左へ行きます。案内の立石もあります。是より一里で清道へ出ます。此処には休み場だけで宿はありません。この間の道のりは長いですが、平地ばかりでございます。

 そして峠を越せば浜村へ入ります。

漁灯ノ麗網

 妙法寺望楼。
 上に静座して 九景浦 千々見の浜 山水を清玩すれば 門外に鶴城の市街連なる。

 山のただ住まい 水の流れ 自ずから天然に備わり。伊佐津・高野川尻落ち込みて 汐の満干の濃やかに。

 五老の日出 三岳の残月。
 浜辺の海士が漁り終え 千尋の網干しに 鷺鴎の遊ぶあり 漂ふあり。

 夜となし昼となし 行き交う帆舟は 横波を被り。花の匂崎も 青葉若葉におい移れば大丹生山に霧込めて やや雁渡る小富士の空。

 雪翁の年取り島は、昔 玄旨の君 幽斎ゆく年を惜しみ給いしとか。 かかる景色のある限り、明け暮れおもてなし。

あたりに響く鐘の音まで風塵を払いて 松柏の長く久しき 山陰の妙なる眺めなれば
「うみ見えて すすしき寺の すまい哉」でございます。

建部の霽雪

 丹後州加佐郡建部山。
北壌の壮観にて 一府の藩鎮なり。その形駿州の富士を縮め 江州の三上山に合うなり。

 東鑑を引きて曰く

 足利義氏の子泰氏 丹後守に任ぜられしが素より遁世の志あり。剃髪して僧となり平石殿と称され 是より後を一色氏の始祖として 加佐郡建部山山上に築き 代々是を居城となす。

 吾が丹後に城跡と称するもの凡そ八十五ヶ処になりしが 皆 山城であり平城でなし。 即ち元亀天正時代以前において すべて 山城のみと見えし。信長公 起りてより 城郭に甲冑に また刀剣にも 凡そ天下の武備一変せり。

 丹後も亦然り 細川藤孝の来りてより 皆平城となれり。
 ご案内いたしましょう 丹後富士建部山でございます。

霧海ノ柴舟

  「丹後田辺に過ぎたるものは 
              鴇の太鼓と野田笛甫」

 田辺が生んだ博才 野田希一は 江戸昌平坂学問所に学び 牧野藩二百五十石家老として 藩学の刷新と海防の推進を為し また明倫斎学識の長を務め 名勝舞鶴湾を九景浦と名付けました。
    「五老峰朧月 洲崎退潮 芦原曝網

     二翁崎漁舟 十州晴旭 三岳落霞

     四所浦浴鴎 喜多村漁火 小芙蓉霽雪」

 田辺ご城下の情緒は田辺八景に 舞鶴湾の美しさは九景浦に 昔を今に その名残りを留めているのでございます。


  
   ■まつりの主たる柱

      このまつりは、歴史上の人物田辺藩初代城主「細川幽斎」公が関が原決戦前夜、
      この田辺(現舞鶴市)で籠城を行った事実をまつりの柱とし構成されています。


 @「第一章 いざ籠城」(まつり開会:城門前)     

      時は、慶長5年(1600年)7月(関が原の戦いの2ケ月前)
      城門が閉じられた場面で、武者が駆けつけてきて、大阪で石田三成軍が兵を挙げ、
    ガラシャ様※が、屋敷に火をつけ自害したこと、
    田辺城めがけ
15,000の兵が進軍していることを報告します。 
    幽斎公は、籠城を覚悟し、丹後の各城に武具、弾薬を田辺城に集めるよう報せを走らせ、
    各地から武士が馳せ集まってきます。
    以上を芝居仕立てで説明しています。

      ※本名「たま」キリストの洗礼を受ける。忠興の妻、明智光秀の娘

 A「寄進米みこし」(まつり開会:城門前)

この時、「田辺城に西軍15,000が攻め寄せる」との報せに、
町衆が米を寄進した故事を基にしたイベントです。

北は吉原の水無月神社、西は西町見樹寺、南は朝代神社と旧町内にある神社仏閣で
舞鶴の発展と市民の幸福を祈願し、米俵みこしを担いで2時間余り走り回り会場に帰ってきます。

各町内では、盛大な出迎えをして頂いておりますが、町内を訪れるのが遅れるとその町内は、
この公園への出発が遅れ、大変な迷惑をかけることになってしまいます。

果たして各町内の出発に間に合うことが出来るでしょうか!
この田辺城まつりをはじめた当時、
市民、各自治会は、市民まつりとしての価値・認識及び参加意欲が低く
その改善が求められました。

そこで考え出されたのが、この寄進米みこしです。
こちらから押しかけワイワイがやがや勝手にさわぎ、
市民・町内会を有無を言わさず巻き込んでいきました。

初回(第3回から実施)は、出迎えもなく淡々と各町内会を廻るむなしさを
感じるものでしたが、回を重ねるにつれ、町内太鼓の出迎え、お酒やつまみの接待、
清めの水の用意と歓迎してもらえる町内会が増え、みこしを担いでるものは疲れた体に鞭打ち
「がんばらねば!」と力をもらったのでした。

しかし、1時間半から2時間を軽いみこしではありますが、
担いで約4キロ走破するのはつらく、担ぎ手がなくなり、
とうとう第10回田辺城まつりを最後にやめていましたが、
第15回を機に、舞鶴海上自衛隊のご協力を仰ぎ復活しました。

長く途絶えていた為、往年のような各町内会の出迎えはまだ復活してはいませんが、
沢山の人でお酒有り、ビールあり、ちくわ、かまぼこ、おにぎり等沢山のもてなしで
出迎えていただきました。自衛隊員のなかには、感激で涙するものもありました。

お酒を飲んでは走り、呑んでは走りグデングデンになりながらも
なんとか各町内出発の時刻には到着し、祈願のお札を渡し、各町内の氏神さんへお参りし、
無事任務を果たしました。
       

 B「第二章 心種園小芝居 古今伝授」(公園あやめ池) 協力 神心流尚道館匂崎教場

兵わずか500で籠城。
2ケ月間この地に敵15,000名を釘付けにし、
関が原の戦いを有利に導きました。
又、幽斎公は、古今伝授の唯一の継承者であったため、
朝廷が使者を遣わし、この田辺籠城戦を収めた戦いでもありました。
心種園脇あやめ池の中島の松を古今伝授の松に見立て、
籠城の最中に行われた幽斎公と和睦を勧めにきた朝廷の使者との芝居。
詩吟の会の協力で古今伝授の際の和歌詠みも迫力のあるものに仕上がっています。

 C「第三章 御城下大行列 総登城」(城門前)
 
    
籠城が終わり、関が原の戦いも勝利し、忠興公も凱旋。
    その勝利を祝い 市中を凱旋行列するという設定。
    町内太鼓、子供みこし、チビッコ武者 鎧武者等を加え総勢
1,000名余の行列。
    城門前を出発し西駅から商店街を回って帰ってきます。

 ホームページ管理者:米山隆一朗