ようこそ! 第19回(平成22年5月23日)
               まいづる細川幽斎 
田辺城まつりのホームページへ!
                              舞鶴の文化伝承とコミュニティーの自力UPを応援します!

  第19回 まいづる 細川幽斎
 
   田 辺 城 ま つ り
            平成21年5月23日(日)(開催日決定)舞鶴公園にて
                           22日(土)前夜祭:舞鶴公園にて
 
実行委員会 〒624-0854 舞鶴市円満寺158-1 TEL/FAX 0773-75-0933
更新日:平成22年2月13日

ページのご案内
■第18回(平成21年)のまつり(雨天中止)
■第17回(平成20年)のまつり
■第16回(平成19年)のまつり
■舞鶴百撰
■城下町舞鶴の歴史
■寄進米みこし市中巡航(平成20年)
■寄進米みこし市中巡航(平成19年)
■心種園小芝居 古今伝授(第16回)
■芸屋台&見送り幕展示(第16回)
■田辺城籠城の一席市民リレー講談(第15回前夜祭)
第18回(平成21年)まいづる細川幽斎田辺城まつりは、
  雨天の為、中止となりました。
 現在、第19回(平成22年5月23日開催予定)に向け、企画中です。
 近日中に内容を公表させて頂きます。ご期待あれ!
■城下町だより11月25日
えべっさん大いに賑わう  
         西地区商店街・西市民プラザ・丹波町恵比須神社

・えびす市 舞鶴商工振興会主催
  西地区商店街に於いて11月21〜23日 
    手づくり雑貨やロシア物産展・真名井の清水を使った幽斎うどん
    よさこい踊り・和太鼓演奏・えびす娘籠道中
文化祭 NPO法人まちづくりサポートクラブ主催
  西市民プラザに於いて11月21〜22日
    よさこい・阿波踊り
    プラザで活動する様々なサークルの発表や体験コーナー
・えびす神社大祭 
  丹波自治会・恵比須神社運営委員会・丹寿会・丹波愛鼓会主催
  恵比須神社に於いて11月21〜23日
 
    街並みをPRするのれんと案内看板の設置
    夜間のライトアップ華灯籠・えびすぜんざい500名無料振る舞い
    植木市・日本舞踊
城下町だより(11月9日)
  吉原の太刀振り披露
(11月3日)


11月3日の朝代神社の祭礼に、吉原の太刀振りが披露されました。
 この太刀振りは、4年に1度奉納される民俗芸能です。
 戦国の武将・細川氏が吉原漁民に伝授した武道の型を、今の時代にまで伝えるものです。
  (舞鶴市無形民族文化財)
城下町だより(広報まいづる9月1日号より)

 堀上芸屋台収納庫が完成!
        堀上の芸屋台は57年ぶりに復元

     
  6月から堀上地区で整備を進めてきた芸屋台の収納庫が完成。
  堀上自治会が所有する芸屋台が収められました。
  同芸屋台は昭和27年以降、解体した状態で保管されていましたが、
  2月の組み立て作業で57年ぶりにほぼ原形どおりに復元。
  西市民プラザに仮置きされていたものです。
  収納庫はしの助成制度を活用し、整備。
  前面にはアクリル板が使用され、
  芸屋台をいつでも見ることが出来ます。

  市内ではこのほか、寺内集会所で寺内自治会の芸屋台を、
  西駅交流センターで現在は、
  竹屋自治会の芸屋台を常設展示しています。

     
   ■
芸屋台とは(第16回まつりに展示された芸屋台と見送り幕)
   江戸時代に「屋台芸」として行われていた子ども歌舞伎用の舞台で、
   西地区の城下町文化を伝える代表的なもの。
    昭和初期まで毎年、芸屋台を所有する畜が年番を決め、
   装飾や子ども歌舞伎を行いました。
    現在は、朝代神社の祭礼行事に参加した10自治会
   (魚屋、紺屋、寺内、新、竹屋、丹波、西、堀上、本、舞引土)が、
   芸屋台を所有しています。
  ■主催 まいづる細川幽斎 田辺城まつり実行委員会
  ■後援 舞鶴市・舞鶴教育委員会・舞鶴商工会議所・舞鶴文化協会・舞鶴商工振興会
        舞鶴西自治連合会・舞鶴観光協会
 
■まいづる細川幽斎 田辺城まつり とは

    わがふるさと舞鶴の歴史と文化にスポットをあてたイベントとして、
    「まいづる細川幽斎田辺城まつり」は、まいづる田辺城まつり実行委員会が主体となり、
    関係諸団体のご後援並びにご協賛を頂き、平成4年から
5月最終日曜日に舞鶴公園と
    西地区商店街を中心に盛大に開催され手います。

    舞鶴西地区は歴史的にも由緒ある田辺藩の城下町として発展してまいりました。
    いまも情緒ある景観や伝統芸能等が数多く残されています。
    こうした郷土の歴史と文化を広く紹介する事により城下町の伝統を再認識し、
    市民の郷土愛を育み地域の特性をいかしたイベントとして定着させることが、
    地域活性化の大きな一助になるものと確信しております。

  このまつりは、次の史実を基に5つの柱で構成されています。

 @「第一章 いざ籠城」(まつり開会:城門前)     

      時は、慶長5年(1600年)7月(関が原の戦いの2ケ月前)
      城門が閉じられた場面で、武者が駆けつけてきて、大阪で石田三成軍が兵を挙げ、
    ガラシャ様※が、屋敷に火をつけ自害したこと、
    田辺城めがけ
15,000の兵が進軍していることを報告します。 
    幽斎公は、籠城を覚悟し、丹後の各城に武具、弾薬を田辺城に集めるよう報せを走らせ、
    各地から武士が馳せ集まってきます。
    以上を芝居仕立てで説明しています。

      ※本名「たま」キリストの洗礼を受ける。忠興の妻、明智光秀の娘

 A「寄進米みこし」(まつり開会:城門前)

この時、「田辺城に西軍15,000が攻め寄せる」との報せに、
町衆が米を寄進した故事を基にしたイベントです。

北は吉原の水無月神社、西は西町見樹寺、南は朝代神社と旧町内にある神社仏閣で
舞鶴の発展と市民の幸福を祈願し、米俵みこしを担いで2時間余り走り回り会場に帰ってきます。

各町内では、盛大な出迎えをして頂いておりますが、町内を訪れるのが遅れるとその町内は、
この公園への出発が遅れ、大変な迷惑をかけることになってしまいます。

果たして各町内の出発に間に合うことが出来るでしょうか!
この田辺城まつりをはじめた当時、
市民、各自治会は、市民まつりとしての価値・認識及び参加意欲が低く
その改善が求められました。

そこで考え出されたのが、この寄進米みこしです。
こちらから押しかけワイワイがやがや勝手にさわぎ、
市民・町内会を有無を言わさず巻き込んでいきました。

初回(第3回から実施)は、出迎えもなく淡々と各町内会を廻るむなしさを
感じるものでしたが、回を重ねるにつれ、町内太鼓の出迎え、お酒やつまみの接待、
清めの水の用意と歓迎してもらえる町内会が増え、みこしを担いでるものは疲れた体に鞭打ち
「がんばらねば!」と力をもらったのでした。

しかし、1時間半から2時間を軽いみこしではありますが、
担いで約4キロ走破するのはつらく、担ぎ手がなくなり、
とうとう第10回田辺城まつりを最後にやめていましたが、
第15回を機に、舞鶴海上自衛隊のご協力を仰ぎ復活しました。

長く途絶えていた為、往年のような各町内会の出迎えはまだ復活してはいませんが、
沢山の人でお酒有り、ビールあり、ちくわ、かまぼこ、おにぎり等沢山のもてなしで
出迎えていただきました。自衛隊員のなかには、感激で涙するものもありました。

お酒を飲んでは走り、呑んでは走りグデングデンになりながらも
なんとか各町内出発の時刻には到着し、祈願のお札を渡し、各町内の氏神さんへお参りし、
無事任務を果たしました。
       

 B「第二章 心種園小芝居 古今伝授」(正午:公園あやめ池) 協力 神心流尚道館匂崎教場

兵わずか500で籠城。
2ケ月間この地に敵15,000名を釘付けにし、
関が原の戦いを有利に導きました。
又、幽斎公は、古今伝授の唯一の継承者であったため、
朝廷が使者を遣わし、この田辺籠城戦を収めた戦いでもありました。
心種園脇あやめ池の中島の松を古今伝授の松に見立て、
籠城の最中に行われた幽斎公と和睦を勧めにきた朝廷の使者との芝居。
詩吟の会の協力で古今伝授の際の和歌詠みも迫力のあるものに仕上がっています。

 C「第三章 御城下大行列」(午後1時:城門前)
 
    籠城が終わり、関が原の戦いも勝利し、忠興公も凱旋。

    その勝利を祝い 市中を凱旋行列するという設定。
    町内太鼓、子供みこし、チビッコ武者 鎧武者等を加え総勢
1,000名余の行列。
    城門前を出発し西駅から商店街を回って帰ってきます。

 D「第四章 戦勝祝い 町内対抗御前綱引き大会、毘沙門杯争奪綱引き大会」(午後3時半頃:公園広場)

戦勝祝いとして、寄進米みこしで市中を回ってきた米俵を綱引きの真ん中にくくりつけ、
自陣に引き込んだ町内会が、一年の福を授かるという町内対抗綱引きで絞めくくります。

毘沙門杯争奪綱引き大会は、毘沙門天が、『北方毘沙門天随軍護法真言』に、
「仏は毘沙門に勅して、天兵を領して界を守り。国土を擁護すべしと告げられたり」
とあるように、軍神(いくさがみ)としての信仰も厚いとされることから、
町衆を守る海上自衛隊、海上保安学校、消防署の3団体での綱引きを企画したものです。

ホームページ管理者:米山隆一朗