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  舞鶴の文化伝承とコミュニティーの自力UPを応援します!




  

  ようこそ!まいづる細川幽斎 田辺城まつりのホームページへ!
 実行委員会  TEL/FAX 0773-75-0933
〒624-0854 舞鶴市円満寺158-1(舞鶴商工振興会内)

更新日:平成30年5月13日

メールの際は、件名に「田辺城まつり」と明記してください
       
    まいづる細川幽斎 田辺城まつり
          
 
 
 
平成30年 5月27日(日)     
    前夜祭 5月26日(土)

 第27回 まいづる細川幽斎 

田辺城まつり


プロクラムpuroguramu27.pdf へのリンク
  雨天時プログラムpuroguramu27uten.pdf へのリンク
  ご城下大行列コースgyouretu.pdf へのリンク
  寄進米みこしコースkisinmai.pdf へのリンク
 
 ポスター詳細0326tanabe2018.pdf へのリンク
 ■協賛企業及び団体(順不同敬省略:平成30年5月7日現在) 
 細川佳代子  タイヨー電化 エナミ精機   舞鶴浄美社  舞鶴市民新聞社  タケダ工芸  富永・大西法律事務所
 舞鶴プロパン  アズクリエイト 弥栄電設工業   鶴美建設  イマヤス  中田製材所  ニューライフショップミズタニ
 水嶋さかなや  舞鶴自動車工作所  荒木クリニック こまや  滝口工務店   賀茂鶴酒造  片又税務会計事務所
 三和工業用品  セイブリビング  太陽堂 辻石材店  キクヅル  大滝工務店   桂林寺
 みずのガス お酒のましも 京栄電材   坂根工務店 西村住建商事   日本海工業  舞鶴かまぼこ協同組合
 土井油糧  コザイ印刷所  京都ハト商事  深田新聞舗  舞鶴さかなセンター  ホリグチ  舞鶴ロータリークラブ
 コスモ観光  オリックスレンタカー  鈴木電気工業所  さとう舞鶴店 双鶴庵  芝原塗装店  フクヤ 
 凡愚  やたに保険事務所  京都交通社 池田酒造  霞月  河村電気設備  ヤマゾエクリーニング
 榎本自動車  あっさり漬食品  波多野米穀店 中田アルナ  丹後ガス  田中工務店  西本仏壇店 
 バンガード  舞鶴ライオンズクラブ  太陽保安警備  福井銀行舞鶴支店  福邦銀行西舞鶴支店 川井壁産工業  日本海 
 大槻昭和堂 タニウチデンキ  らぽーるテナント会  古橋材木店  北都警備保障  加寿美  堀電機商会 
 舞鶴西米穀組合 佐々木薬局  舞鶴文具  田中産業  江守石油  がんばっ邸  佐古田電機 
 大阪屋夫人服 KSNSAI税理士法人  京都府漁連  みつる幼稚園  吉田建具店   舞鶴赤十字病院  舞鶴グランドホテル
 京都北都信用金庫  シールート 吟味屋マンボウ  しまとう  村田舞鶴堂  丹和米油  楽飯工房八龍亭 
 ハヤシスポーツ 松本新進堂印刷  南石油  ケンコーマヨネーズ  大和ルーフ工業  まつもと米穀
FMまいづる77.5MHz 
 中西酒店            
 井出光一  ライフサービス舞鶴 あしだ畳店   日之出化学工業  京都丹の国農協  クスダ商会  ドライブインダルマ
 ことぶき衣装            
 山下歯科医院  小西商事 瑞光寺  西谷通信工業  ハクレイ酒造  山下管工開発  舞鶴みなとライオンズクラブ
 エヌエスケイ            
 臼井孝太  妙法寺 畜連の肉  舞鶴サントリー会   杉本商店 焼肉の味道楽   八百幸
■後援 舞鶴市  舞鶴教育委員会  舞鶴商工会議所  舞鶴商工振興会  舞鶴市西自治連合会  舞鶴観光協会  NHK大河ドラマ誘致推進協議会

■協力
舞鶴観光協会 舞鶴商工振興会 舞鶴西自治連合会 ほくと鵬信会 舞鶴商工会議所青年部 舞鶴青年会議所 田辺城ガイドの会
海上自衛隊 海上自衛隊教育隊 海上保安学校 舞鶴警察署 舞鶴市教育委員会 京都職業能力開発短期大学校 
まちづくりサポートクラブ 日本赤十字社京都府支部 福知山献血センター 舞鶴献血友の会 舞鶴ライオンズクラブ 舞鶴西料飲組合 
舞鶴市立明倫小学校 池内幼稚園 相愛保育園 舞鶴幼稚園 みつる幼稚園 聖母幼稚園 
倉梯幼稚園 シオン幼稚園 たちばな幼稚園 中舞鶴幼稚園 ひばり幼稚園 永福保育園 なかすじ保育園 中保育所
詩吟神心流舞鶴総支部 紫友会 竹風会 淡交会 韓国民団舞鶴支部 舞鶴市民新聞社 FMまいづる77.5MHz
舞鶴よさこい連 Kukui・丹波Izanai合同連 よさこいにっぽん聖 瑞光寺 桂林寺 見樹寺 野村寺わいわい太鼓 和太鼓「喜悳」 舞鶴市西地区機能施設 
子供和太鼓「喜悳(キシン)」 蒲江いきいき野菜市 サントリー酒類株式会社京都支店 舞鶴サントリー会 山下管工開発 京都北都信用金庫舞鶴中央支店 他

■太鼓・みこし・芸屋台・寄進米みこし等の協力
  南田辺 竹屋 新町 丹波 京口 魚屋連合 寺内 西町 折原 引土新 舞引土 他西自治連合会 京都北都信用金庫  海上自衛隊
 
 ■講談「田辺城籠城の一席」古今伝授編(平成25年:明倫小学校5年生)koudan.pdf へのリンク
ページのご案内
 ■第26回(平成29年5月28日・前夜祭含む)まつり  
 ■第25回(平成28年5月22日・前夜祭含む)まつり  
 ■第24回(平成27年5月24日・前夜祭含む)まつり  
 ■第23回(平成26年5月25日・前夜祭含む)まつり  
 ■第22回(平成25年5月26日・)前夜祭含む)まつり ■昭和33年開催「舞鶴みなとまつり」フォトアルバム
 ■第22回(平成25年5月26日・)前夜祭含む)まつり ■舞鶴百撰 
 ■第22回(平成25年5月26日・)前夜祭含む)まつり ■城下町舞鶴の歴史
 ■第20回(平成23年5月22日・前夜祭含む)まつり ■寄進米みこし市中巡航(平成20年) 
 ■第19回(平成22年5月23日・前夜祭含む)まつり ■寄進米みこし市中巡航(平成19年) 
 ■第18回(平成21年)のまつり(雨天中止) ■心種園小芝居 古今伝授(第16回)
 ■第17回(平成20年)のまつり ■芸屋台&見送り幕展示(第16回)
 ■第16回(平成19年)のまつり ■田辺城籠城の一席市民リレー講談(第15回前夜祭) 
 

古今伝授の芝居

田辺藩の筆頭老中 大石内蔵助こと
実行行委員会会長  松本昭司
 ■まつりの主たる柱
      このまつりは、歴史上の人物田辺藩初代城主「細川幽斎」公が関が原決戦前夜、
      この田辺(現舞鶴市)で籠城を行った事実をまつりの柱とし構成されています。
     
       細川幽斎公は、武人としては戦闘知略の才で、
         室町幕府の存続に尽力した最後の擁護者として足利義明に仕え、
         その後、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と
         時の覇権者にそれぞれ扇の要として仕え、戦国を生き抜いた人物です。
         叉、朝廷との深い関わりの文化人として、
         和歌の古今伝授唯一の継承者など知れば知るほど面白い生涯をおくった人物です。
   


@「第一章 いざ籠城」(まつり開会:城門前)
     


      時は、慶長5年(1600年)7月(関が原の戦いの2ケ月前)
      城門が閉じられた場面で、武者が駆けつけてきて、大阪で石田三成軍が兵を挙げ、
    ガラシャ様※が、屋敷に火をつけ自害したこと、
    田辺城めがけ
15,000の兵が進軍していることを報告します。 
    幽斎公は、籠城を覚悟し、丹後の各城に武具、弾薬を田辺城に集めるよう報せを走らせ、
    各地から武士が馳せ集まってきます。
    以上を芝居仕立てで説明しています。

      ※本名「たま」キリストの洗礼を受ける。忠興の妻、明智光秀の娘


A「寄進米みこし」
(まつり開会:城門前)

この時、「田辺城に西軍15,000が攻め寄せる」との報せに、
町衆が米を寄進した故事を基にしたイベントです。

北は吉原の水無月神社、西は西町見樹寺、南は朝代神社と旧町内にある神社仏閣で
舞鶴の発展と市民の幸福を祈願し、米俵みこしを担いで2時間余り走り回り会場に帰ってきます。

各町内では、盛大な出迎えをして頂いておりますが、町内を訪れるのが遅れるとその町内は、
この公園への出発が遅れ、大変な迷惑をかけることになってしまいます。

果たして各町内の出発に間に合うことが出来るでしょうか!
この田辺城まつりをはじめた当時、
市民、各自治会は、市民まつりとしての価値・認識及び参加意欲が低く
その改善が求められました。

そこで考え出されたのが、この寄進米みこしです。
こちらから押しかけワイワイがやがや勝手にさわぎ、
市民・町内会を有無を言わさず巻き込んでいきました。

初回(第3回から実施)は、出迎えもなく淡々と各町内会を廻るむなしさを
感じるものでしたが、回を重ねるにつれ、町内太鼓の出迎え、お酒やつまみの接待、
清めの水の用意と歓迎してもらえる町内会が増え、みこしを担いでるものは疲れた体に鞭打ち
「がんばらねば!」と力をもらったのでした。

しかし、1時間半から2時間を軽いみこしではありますが、
担いで約4キロ走破するのはつらく、担ぎ手がなくなり、
とうとう第10回田辺城まつりを最後にやめていましたが、
第15回を機に、舞鶴海上自衛隊のご協力を仰ぎ復活しました。

長く途絶えていた為、往年のような各町内会の出迎えはまだ復活してはいませんが、
沢山の人でお酒有り、ビールあり、ちくわ、かまぼこ、おにぎり等沢山のもてなしで
出迎えていただきました。自衛隊員のなかには、感激で涙するものもありました。

お酒を飲んでは走り、呑んでは走りグデングデンになりながらも
なんとか各町内出発の時刻には到着し、祈願のお札を渡し、各町内の氏神さんへお参りし、
無事任務を果たしました。
 

 
B「第二章 心種園小芝居 古今伝授」(公園あやめ池)
 協力 神心流尚道館匂崎教場

兵わずか500で籠城。
2ケ月間この地に敵15,000名を釘付けにし、
関が原の戦いを有利に導きました。
又、幽斎公は、古今伝授の唯一の継承者であったため、
朝廷が使者を遣わし、この田辺籠城戦を収めた戦いでもありました。
心種園脇あやめ池の中島の松を古今伝授の松に見立て、
籠城の最中に行われた幽斎公と和睦を勧めにきた朝廷の使者との芝居。
詩吟の会の協力で古今伝授の際の和歌詠みも迫力のあるものに仕上がっています。


C「第三章 御城下大行列 総登城」
(城門前)
 
    
籠城が終わり、関が原の戦いも勝利し、忠興公も凱旋。
    その勝利を祝い 市中を凱旋行列するという設定。
    町内太鼓、子供みこし、チビッコ武者 鎧武者等を加え総勢
1,000名余の行列。
    城門前を出発し西駅から商店街を回って帰ってきます。
    田 辺 八 景   絵:みもりあきら  文:山本公彦
                         九 景 ヶ 浦

           題材は舞鶴に古くから伝わっております「田辺八景詩」をいただきました。
          ”丹後田辺に過ぎたるものは 鴇の太鼓の野田笛甫”と
          箱根峠の馬子唄にも知られています
          舞鶴自慢の「田辺八景と九景ヶ浦」でございます。
          丹哥府志 糸井文庫 舞鶴市史の文献よりそれぞれ参考にさせていただきました。
                                                      ー 山 本 公 彦
 ー
城園ノ春色
 
 大内の庄 今で言う田辺であります。和名抄には田辺の庄とございます。
古名を八田といい 宮津へ六里 京へ二一里 江戸へ一四五里の位置にございました。

「古も今も変わらぬ世の中に 心の種を残す言の葉」
 
 古今伝授の幽斎さま 細川藤孝は、天正五年の冬十一月 将軍信長の命を受けて丹後へ入りました。一色義道と戦って建部山を落とします。
一色一族は、遁れて岩滝弓木城にくだり これにより細川幽斎に従う丹後の兵 数多くあり
以来 八田村の地を開いて 初めて平地に城郭を築き この地を田辺と名付けました。
 
 因みに八田の人々は 由良川のたもと志高八田の地に移られました。
「舞鶴風流まず第一は 古今伝授の幽斎さまよ
  残す心の種芽に出でて 今じゃ桜も花盛り
    ほんにほんにさ のほほんのほい」

平田ノ旅雁
 
 加佐郡田辺郷八田村及び円満寺村の地に築かれた田辺城は、北西部に城下町が造成されました。

 北に流れる高野川に大橋が架けられ 橋西と橋東に分けられた道幅は大層狭く 丹波・平野屋・竹屋の各町や 瑞光寺・桂林寺・本行寺・朝代口など各寺社は、いずれも二間半の幅で遠目遮断の丁字路が目立ち 高野川には大橋と京橋 城の堀には伊織殿橋と高橋 伊佐津川には二つ橋のみで 街道の基点は、大橋となっていました。

 京への街道は、城の大手門から本町を経て大橋を渡り寺内へ入り 新町で宮津道と別れて紺屋・朝代から京口番所を回って 京橋で再び高野川を渡り 八丁縄手から公文名・七日市そして山崎橋で伊佐津川を渡 、真倉から何鹿を経て京へ上って参りました。

 今に見えます元稲荷市場北の大手川の石橋を「農人橋」と言いますが、大手川より南には秋の平田が十倉一宮まで 一面に広がっていたのでございます。

圓隆ノ深秋
 
 慈恵山圓隆寺とは、俗に呼ぶ本堂さんです。

 山頂には、火の神様愛宕権現が奉ってあり 町衆によく親しまれ手います。皇慶上人の開基とありますが、一説に田辺誇小太夫とも言われております。

 上人の徳を慕い 伽藍諸堂侭く備えておりましたが、大雨山崩れに会い 堂字が埋没 また火事に逢って 伽藍が一切鳥有と化したこともあります。

 今の建物は牧野の殿様の再建です。昔に比ぶれば 十分の一と言いますが 本堂の傍らには護摩堂があり 薬師堂があり 観音堂も鐘楼も揃って 山門には四天王が安置されて 山門の額は、伴壇右ェ門の筆跡でもございます。

 また三重の多寶塔があり 客殿庫裡よく軒を並べ 塔頭三院が逢連なって 仏像は皆 古へより大切に守られて来たと言われます。

 紅葉真っ盛りの本堂さんへご案内いたしましょう。

桂林ノ夜月
 
 天香山桂林寺は、竺翁和尚の開山で 元は洞林寺と言いました。
佐武ヶ獄城主 坂根修理亮の治世に寺領三十石を與えられ 寺号を桂林寺と改めました。

 細川藤考孝が田辺入城の折には、一色氏の残党を嫌って 寺領を没収されます。慶長五年秋小野木縫殿介が田辺を包囲 大渓和尚が丹後五郡に檄を飛ばして 曹洞宗一派の僧徒を掻き集め 織り金の袈裟に「降伏一切大魔最勝成就」と願を掲げ 弓矢を取りて寺門に出で立ちました。玄旨法印細川幽斎 之を大手に置いて城を固めて 恩賞として三十石の寺領を戻しました。

 傍らに鎮守八幡の社があります。寺に先立つこと凡そ五十年余り前の勧進です。

 桂林寺に似つかわしいのは、東山佐武ヶ獄に出る満月でございましょう。

市橋ノ夏涼
 
 田辺の御城 この御城下は、見付門が町の入り口にも又出口にも無く よく見れば 出口の右手に大手門があります。お城は待ちの片脇になりまして 大手は若狭街道の右手に見えます。

 「殿様はどなたか」と尋ねますと「牧野豊前守の御知行三万五千石」と答えてくれました。

 ちょっと見させて貰いますとこの殿様は甚だ貧乏と見えます。大手口も甚だむさくるしい様子です。大手御門を右に見て十丁ばかりもゆきますと その向うは 左が藪で右手は畑。

 城をぐるりと回ってゆきますと 在所の入り口となります大内に出ます。此処はまだ御城下の内でございますが 左手にえびすや政八と申す綺麗な宿屋とお休み所ががあります。その先半丁ばかりには右と左の二つ道があります。

 若狭へは外道左へ行きます。案内の立石もあります。是より一里で清道へ出ます。此処には休み場だけで宿はありません。この間の道のりは長いですが、平地ばかりでございます。

 そして峠を越せば浜村へ入ります。

漁灯ノ麗網

 妙法寺望楼。
 上に静座して 九景浦 千々見の浜 山水を清玩すれば 門外に鶴城の市街連なる。

 山のただ住まい 水の流れ 自ずから天然に備わり。伊佐津・高野川尻落ち込みて 汐の満干の濃やかに。

 五老の日出 三岳の残月。
 浜辺の海士が漁り終え 千尋の網干しに 鷺鴎の遊ぶあり 漂ふあり。

 夜となし昼となし 行き交う帆舟は 横波を被り。花の匂崎も 青葉若葉におい移れば大丹生山に霧込めて やや雁渡る小富士の空。

 雪翁の年取り島は、昔 玄旨の君 幽斎ゆく年を惜しみ給いしとか。 かかる景色のある限り、明け暮れおもてなし。

あたりに響く鐘の音まで風塵を払いて 松柏の長く久しき 山陰の妙なる眺めなれば
「うみ見えて すすしき寺の すまい哉」でございます。

建部の霽雪

 丹後州加佐郡建部山。
北壌の壮観にて 一府の藩鎮なり。その形駿州の富士を縮め 江州の三上山に合うなり。

 東鑑を引きて曰く

 足利義氏の子泰氏 丹後守に任ぜられしが素より遁世の志あり。剃髪して僧となり平石殿と称され 是より後を一色氏の始祖として 加佐郡建部山山上に築き 代々是を居城となす。

 吾が丹後に城跡と称するもの凡そ八十五ヶ処になりしが 皆 山城であり平城でなし。 即ち元亀天正時代以前において すべて 山城のみと見えし。信長公 起りてより 城郭に甲冑に また刀剣にも 凡そ天下の武備一変せり。

 丹後も亦然り 細川藤孝の来りてより 皆平城となれり。
 ご案内いたしましょう 丹後富士建部山でございます。

霧海ノ柴舟

  「丹後田辺に過ぎたるものは 
              鴇の太鼓と野田笛甫」

 田辺が生んだ博才 野田希一は 江戸昌平坂学問所に学び 牧野藩二百五十石家老として 藩学の刷新と海防の推進を為し また明倫斎学識の長を務め 名勝舞鶴湾を九景浦と名付けました。
    「五老峰朧月 洲崎退潮 芦原曝網

     二翁崎漁舟 十州晴旭 三岳落霞

     四所浦浴鴎 喜多村漁火 小芙蓉霽雪」

 田辺ご城下の情緒は田辺八景に 舞鶴湾の美しさは九景浦に 昔を今に その名残りを留めているのでございます。

ホームページ管理者:米山隆一朗